2013年12月19日木曜日

今日、泣いた理由




ちうしゃを受けてきた。
言葉にするのも嫌だ。もう、永遠に私はこの恐怖を払拭できないと思うと憂鬱で仕方がない。


「強制ではないけど、インフルエンザの予防接種を受けるなら、今月中なら補助金が出るから領収書もらってきてね」と店長に告げられた。

それは私にとって、十分すぎる脅迫だった。接客業上、自分の好き嫌いで受けないなんていうのは子供染みていて大人の暗黙の了解に反する事だから。これが平気な人々への不満と、自分の軟弱さに、私はキレそうになる。

前に受けたのは高校3年の受験シーズン。ドキドキしながら家から一番近い小児科へ行った。ずっと通っているし優しいかと思って。

でもダメだった。打たれたが最後、緊張はピークに達し、頭は真っ白。待合室のソファで、隣に座った小さな子供達が不思議そうに私の青白い顔を覗き込む。フラフラ消えそうになる意識をなんとか保って、徒歩5分で来た道のりを30分かけて這って帰った。

あの日のトラウマが拭い去れない。そして今朝、なんの根拠もなく今日ならイケる気がして強気を演じて医院へ向かった。雨の中「ひょっこりひょうたん島」や「おばけなんてないさ」を歌って励ましながら。

初めましての先生は、ちょっとダルそうなオジサン先生だった。「具合悪いところはない?」「はい、でもちうしゃが苦手です」「うん、まぁ少し腫れるけど大丈夫でしょう」

何が大丈夫なのか分からない。再びキレそうになる気持ちをおさえ、隣室に移ると担当はお姉さんだった。少しホッとしながらも部屋の隅に置かれたコアラのマーチの巨大ぬいぐるみに癒しを求めた。

私は痛いのは我慢できる。
でも、「刺している」という事実が受け入れられない。トゲが「刺さってしまった」のと「わざわざ刺している」のとは全然違う。拒絶反応が大警報を鳴らしてしまう。

そして刑は執行された。案の定、前回と同じように血の気が引いてゆく。緊張の糸を引っ張りすぎた。ただ前回と違ったのは、自分で予約を取った事と(笑)、「気持ち悪いので横にならせて下さい」とすぐに言えたことだ。成長したもんだ。

10分程横になってる間、悔しくて情けなくて思わず涙が出た。血圧まで測って頂き、苦笑する医院のオバチャンに頭を下げ下げ、領収書もちゃんともらってそこを後にした。「終わった〜…」という気持ちと「くっそ〜…」という気持ちが溢れてくる。

大人になるって大変だ。
ちうしゃを受けるくらいなら、インフルエンザにかかった方が遥かにいいと本気で思ってしまう。力のある催眠術師に「平気にな〜る」魔法でも掛けてもらう他ないのだろうか。

怖いことは、ついつい喧嘩口調になってしまって、よろしくない。

2013年12月6日金曜日

うちのラヌーサ


新しいキョーダイがやってきた。
たぶん、おねーちゃんだと思う。

名前はラヌーサ・フッサ・ファー
( Lanuza Fussa Fir )と付けました。

バーゼリア・モコという植物で、
這性種のラヌギノーサ…らしい。
だからラヌーサ。

そんで、フサフサだからフッサ。
そんで、モミの木(fir tree)の香り
がするからファーなのだよ。

フランス映画に出てきそうな、
ベランダと窓がほしいです。

2013年12月5日木曜日

いぬがいっぴき


いぬがいっぴき。

この子は、私のお散歩コースにいる黒犬。小さな工場の庭にいる、大きな犬。いつも同種の白犬と一緒にいて、二頭ともかなりデカイ。私の手のひらが一頭の鼻先くらいの大きさだ。

いつも涎だれだれ、毛は砂っぽくシャリシャリいい、爪は切られることなく、ツィンッと伸びきっている。

私はこの黒犬が好きだ。(白いのはたまに太い声で吠えるので苦手。)黒犬の両目は、白内障でとても澄んだ綺麗な色をしている。あまり見えていない様子で、静か〜に私が横移動しても、顔をあっちに向けたまま尻尾を振っている。それでしばらくすると、鼻をクンカクンカさせながらこちらに顔を向け、私の右手をペロリと舐めるのだ。

あぁ、儚いなぁ、せつないなぁ。
私の胸はそんな想いで一杯になる。

2013年11月27日水曜日

耳屋の豆腐


近ごろ、耳鳴りがする。

風邪をひいて、鼻をかみすぎた所為かも知れない。もしくは、人の話を懸命に聞かなくなったからかも知れない。

一番よく聞こえるのは就寝前の静かな部屋の中だが、これがなんとも可笑しな耳鳴りなのだ。「キーン」とか「ジーン」ではなくて、

「ピーィ   プーゥ」なのだ。あの、豆腐屋さんが吹いてる、「ピーィ   プーゥ」なのだ。たまに、リズムが狂って「ピプッ! ピーィ  プーゥ」という。

生き物みたいだなぁ…と眠たい私は思う。「ピプ」は、寝るまでずっと私に子守唄を聞かせてるみたい。ゆっくりと、右耳だけに子守唄。

幼少期おばあちゃんの家に行くと、座る度に鳴る子供用の椅子があって、あれと同じだ、とふと思う。幼いながらにあの音が恥ずかしくて、ゆーっくり座ったり立ったりしてみたが、結局広範囲に「ピーィ   プーゥ…」の音だけが虚しく響くのであった。「ペキョペキョ」鳴るあの靴も同じだ。

日中、電車や街の中では「ピプ」は鳴らない。期待すると返事をしない。むしろ耳が喋ってるくらいだから、私が話かけるなんて事しない方が妥当な気もしてくる。

冬の始めに、いい友達がでけた。

2013年11月23日土曜日

おいらのポッケにゃ


私のポケットは
毎日更新されるポケットです。

コートもシャツもズボンのも
今日のも明日も明後日のも
新しい空気を含んでいいかんじ。

朝、お気に入りのキーホルダーが
ついた鍵とパスモを、右のポッケに
入れます。右に入れるのはこの二つ。

左のポッケは日によって様々です。
イヤホンとかノートとかペン、
飴ちゃんやガム、拾ったボタン…

今日はミカンと落ち葉と文庫本。

戸締りをした鍵を右ポケットに
チャカチャカいわせていざ出発。

駅へ向かう途中の公園や坂道で
ハッと止まって落ち葉を拾う。
「手紙に入れたろ〜」

電車に乗ったら本を取り出す。
たまにイヤホンをしながら本を
読むけど、音楽は流していない。
ただの防音。

そういう人、他にも居ないかしら

それで、別に用がなくても
ポッケに手を入れて歩く。
グーにしたりパーにしたり。

お腹が空いたらミカンを食べる。
喉が乾いたら小さいペットボトルを
沈んだポッケから引っぱり出す。

一日を終えて家に帰ると
全部ポケットから追い出す。
明日同じコートを着ようとも。

詰め放題、あんまりパンパンだと
みっともないから、毎晩ちゃんと
深呼吸をさせます。

あなたのポッケは携帯電話の他に
何が入っていますか?

2013年11月20日水曜日

ガタヨロプン



私の手前に、陽がさした。

毎朝通る公園の、木と木の間。
スカッと通るか、モゾッと通るか。

小学生、慣れない自転車をガタボコ言わせながら、土から盛り出た木の根を踏んづけて走った。するとお母ちゃんがやって来て、「根っこだって生きているんだから踏んじゃぁ可哀想よ。」と言う。それで私は、なるべく木の根元は避け、クネクネヨロヨロ走って遊んだ。

今でも通る公園の、木と木の間。

嫌なことがあった日は、わざと根の上を歩く。ズンズンズン!でも木は微動だにせず、立ち続けている。それで自分の子供じみた行動が恥ずかしくなって、落葉を愛でて許してもらう。

「やぁ〜ちょとね、上手くいかない事があってさ。ごめんね、踏んだりして。この葉っぱ、君が落としたやつ?やぁ〜実に良い色だね。スイートポテト色、濃厚な赤。乾燥した歪み、実に美しいねぇ〜。」とか言って。励ましてもらっている。

2013年11月15日金曜日

フゥフゥの発熱


熱が出て、仕事を休んだ

ボ〜っとした頭で、小中高、よく学校をズル休みしたのを思い出す。なんだかな〜と思いつつも、温いお布団の幸せを堪能した。「あらもうお昼か、道理で体がギシギシしてきたわけだよ。家族みんな出掛けたし、テレビでも見ようかねぇ。」チビまる子ちゃんのような正しいサボり方である。

もちろん、本物の病人としてお休みしたこともある。そんな日は、鼻づまりや腹痛を抱え、仕方なく己を恨みながら布団をかぶる。熱にうなされ、誰もいない午後にふと目を覚ますと、広い額にうっすら汗をかいている。グッタリ気だるい身体で起き出して、トボトボと台所へ向かう。ヤカンに火をつけ、シーンとした部屋に響く「チッチッチッチッ…」という音を聞くとそれに合わせて、ドロンとしていた心臓にリズムが蘇る。「トットットットッ…」

湯が沸く間、コップに蜂蜜と檸檬を絞って待機。サボりの時は、こんな事さえしないのに本当に体調が悪いと少しは自分を労わる様になるらしい。熱々の湯をコップに注いで、どっこいしょっと、ヒンヤリ冷たい椅子に腰をおろす。猫舌なので、コップの水面をフゥフゥ揺らしながら、こんな一日もいいもんだ〜と、ふと思う。

なので久々にお休みを頂いた今日は、なんだかいい一日だった。熱もだいぶ引いたし、明日は元気に働こうかのぅ。

2013年11月10日日曜日

ツンデレきょうだい


冬の所為かな。

こないだ初めて、「2人で食べるご飯どきの寂しさ」を感じた。吉本バナナさんや江國香織さんの小説に出てくる「一緒にいる故の寂しさ」みたいなもの。

なんにもない、けど、なんでもある
なんでもある、けど、なんにもない

どっちかしら。
哀しくないし、ご飯も美味しい。
相変わらずの冷え性と、温い床。

ただ、互いにちょっと気を使っている。今まで気を使うなんてことはなかった仲なのに、18を過ぎた二人は、少し大人になって相手を気にかける。それが「二人でご飯を食べる寂しさ」の原因らしい。

「もしもし。君、今晩は何を食いたい?え、オムライスはこの前食ったろう。でもまぁ、卵は何個あるの?」

「なぁなぁ、ケチャップ足りなかったね。なんで買ってこなかったのさ。でもまぁ、このフワフワの卵、美味いなぁ。」

私たちは、ツンデレきょうだい 。
今宵もやっぱり、オムライスは美味しいし、ケチャップも薄く伸ばせば、なんくるない。

褒めて伸ばせ、伸ばされろ。
「じゃぁ食器洗いよろしくね」
「…………z Z Z 」

2013年10月23日水曜日

未来計画、アイロン家族



アイロン掛けが好きなのは以前も書いたけれど、新たな使い方にはまっている。アイロンで身体を温めること。

少し厚手のスウェットや靴下の上から、お腹や足に、じわわわ〜んとアイロンをあてる。もちろん、使い終えて余熱もぬるくなったくらいのアイロンを。

先日NHKでやっていた、伊丹十三と宮本信子の夫婦生活、再現ドラマ「こだわり男とマルサの女」で、このアイロンマッサージをしていたのを見て、真似したのだ。

旦那がうつ伏せになって、妻がそのふくらはぎから背中にかけて、ぬく〜いアイロンをあててゆく。これがなんとまぁ気持ち良さげで。

背中はちょっと届かないし重たくて一人じゃぁ出来ないけど、子供が出来たら冬にやってあげたい。それで「我が家の可笑しな習慣」みたいな作文を書いてくれたら嬉しい。

江國香織の「きらきらひかる」でも、妻の唯一の家事仕事は、寝る直前に旦那のベッドシーツにアイロンをかけること。これはやったこと無いけれど、きっと良く眠れるだろう。あの掛けた後の、焼きたてパンのような匂いも好きだ。

寒くなってきたでしょう。火傷しない程度に、皆さんもぜひお試しあれ。

2013年9月24日火曜日

シナモン・ヒロイン


職場の隣はカフェ付きパン屋さんだ。事務所の窓を開けていると、朝から挽きたての珈琲豆が、強く香ってくる。

この二ヶ月、珈琲を飲む練習をしていたら、微糖なら淹れたても美味しく頂けるようになった。お腹も壊さなくなった。

珈琲の濃いーい薫りの合間に、焼きたてのパンの薫りが織り込まれて、私の鼻に届く。クンクンクン、わぁ幸せ〜。

デスクの上に、白いお皿に乗った厚切り角食と、お気に入りカップに注がれた珈琲が見え始める(※妄想)。パンはそのままもいいけど、シナモンがあると尚嬉しい。この香りが苦手な人も多いけど、構わず、甘さに少しクセのあるシナモンやココナツが好きだ。(あとキンモクセイも。) 

それで今、すっかりシナモンと珈琲中毒になっている。こういうのは特に、秋にかかりやすい。魚座の私は妄想にふけて夢見るのが得意なので「隣店から珈琲が薫る!」なんていう一説はとてもロマンチックに思える。

たぶん、本の読み過ぎだろう。
読書の秋、私はフィンランドの喫茶で、しとやかにページをめくる。ふりをする。



2013年9月21日土曜日

ポーカーフェイス・マネー


お金に慣れない。
なぜだろう。

ジャラジャラしたもの、うすペラいもの、金属のニオイ、苦手。数字、電卓、算数、割引、おつかい、おつり、返品交換、領収書…。緊張してきた、頭まっしろ!フリーズ寸前!

なーんて、これだけ言い訳を並べてみても付き合っていかなきゃならないのがお金たち。どうしたら仲良くなれるのかしら?

ふと、メイちゃんのごっこ遊びを思い出す。ブチブチちぎってきたであろう花を、お父さんの机に並べて「お花屋さんっ!」と満足気に云う姿。あぁいう真面目さが物売りには必要だと思うし、それにはやはり、ドングリ貨幣がシックリくるように思う。

それに、昔々は貝殻や石が貨幣代わりだったという話じゃないか。これなら私の両手にも心地良く馴染むのに。でも…それがすごく気に入った形の石だったら?綺麗な色の貝殻だったら?それ自体に価値を見出してしまって、物々交換も躊躇しちゃうかも知れない。

そうなると、いくらでも世界で生産されている、あのポーカーフェイス札や、いつまでも懐かない小銭たちの素っ気なさが、丁度良い気もしてくる。

あーでもでも!やっぱり、お財布の中で小石や貝殻がチャカチャカ鳴ってたら可愛いなぁ。「え〜何色がいい?これ?これはだめ!だってこんな綺麗な三角の石、めったにないよ!この丸いのなら、そのモナカ1個と交換してあげる」とか云って。

(今回も、根本的問題は未解決。)


2013年9月16日月曜日

親愛なるジジババさま



「おじーちゃん、おばーちゃん、これからも元気に長生きしてね!よしのより」

今日は敬老の日だったけれど、台風の為、会いに行くのは延期になった。

小さい頃からこのイベントには気を使う。毎年使い回すメッセージが、なんとまぁ、ありきたりなんだろう!だいたい、長生きすりゃいいってもんじゃない。

父方のじいちゃんは生きることにすごく執着している、死を恐れてる。胸にはペースメーカー、膝には注射、両目の手術、何錠もの薬を飲みどの薬が効いているのか解らない。ジェンガのような機械ニンゲンだ。

一方でばぁちゃんは、「遺言書はここに閉まってあるから」「あんたが撮ってくれたあの写真、遺影にしてね」なんて云うもんだから私も「じゃぁあのお皿とスカーフもらうね」なんて話をしている。

母方のじいちゃんは7年前のクリスマスの朝に、ケーキを二切れも食べて満足して静かに死んだ。ばぁちゃんには正月以来会っていない。

いつまでもあると思うな親と金。
最近少し口うるさくなったジジババに、ウンザリすることが増えている。こんなに大事に育ててもらって、どの面がそんなこと言うのか。

だから。
「程よく生きてちょうだいね、」と伝えたい。放ったらかしな云い方じゃなくて。来たる死に際に、自分はこれでよかったらしい!と思えるように過ごしてね。

「はい、そろそろ時間で〜す!」という神さんの声に耳を傾けて、それまでは私も「ハイハイ、いつも生かしてくれてありがとーう」と手を合わせていたい。

2013年9月12日木曜日

まめまめしくまめする。


どうも自分は豆類が好きらしいことに気がついた。食べるのはもちろん「まめ」という音にも弱いようだ。

ま め ま め
ま め ん ま め ん
ま め め め め
ま ー っ め っ
ま め ー ぇ っ

その転がる様子も愛らしい。グリーンピースをサヤから外してやれば「今だ!」と言わんばかりに走り出し、枝豆もパッチーン!と飛躍する。「おい、豆たちよどこへゆく?」球体は私の声などお構いなしに、ただただ、その歪な丸に身を任せ転がってゆく。

そんな気ままな態度や、脱走に失敗してグツグツと煮られる姿はいつまでも見飽きない。

以前、教授と漢字の成り立ちについてお話したとき、私は「描く」という字は「(手)で(苗)を植える、創造物なんだ!」と熱く語った。

すると教授からのお返しは「豊」という漢字だった。「(曲)がった(豆)が(豊)か、というのはなんだか面白いよね」と。おーぉ、やっぱり豆は魅力的なんだなぁ〜!

そんな豆を見習って私も、まめまめしく働いてみようかと思った。が、しかし、ついさっき「まめまめしい」という漢字が「忠実忠実しい」と書く事を知り、私めには不釣合いなこの二文字に、まさに豆鉄砲を食った鳩のように呆然としたのであった。


(写真は岡山で撮ったもの)赤飯に炊いてくれた小豆と、ジサマの手から逃げようとするグリンピース。

2013年9月4日水曜日

赤飯色の女


ピンク色、着たいな〜!と思う事が、この私にだってたまにはあります。

へにゃふわ〜くるくる〜リボン〜白色〜前髪〜テヘペロ〜

もしこれらを全てまとったら、私は一体どこへ行っちゃうんでしょう。優しく愛しい乙女像、もしくはどろどろ悪女像のどちらも持ち合わせていないので、着られてる感が否めません。

部屋を見回してみても淡い乙女ピンクな物が見当たらない。強いていえばサーモンピンクがかったハンカチが一枚。タンスの中は紺・青・生成・茶・緑のオヤジカラーがズラーリ。

だって、なんだか照れくさい。柄や素材、形でチョッピリ女子要素を入れるのが限界です。まとった物で、少しでも女子限度を超えると、もう電車なんか恥ずかしくってしょうがない。とうとうオイラ、やっちまった〜!帰りたいよーう。(リクエスト曲はもちろん、ハンバートハンバートの「罪の味」)

そしてふと我に返る。そうだ、私は東京育ちの芋娘でいいのであった!と。そう、ピンクのくだりはフェードアウト・フォーエバーなのであります。

p.s.お赤飯と鮭のピンクは好きです。

2013年8月30日金曜日

おはようの朝


最近、夜はクタクタで帰ってバタンキュー。お行儀悪く、イスに足をのせ体液逆流させたままリビングで寝てしまう。

疲れ果て、やだやだ〜今寝るんだ〜!の際骨頂に眠りにつく事ほど、気持ちのいい事はない。おかげで朝はスッキリ目が覚める。

そして翌早朝、前夜の怠慢を(ちょっとだけ)反省して、そのままの食器やらなんやらを片付ける。心地よく目覚めたので何をしても気持ちがよい。

「花に水でもあげちゃおうかしら、おほほほほ〜!」「ほら、コーンフレークが輝いて見えるわ!素敵ね〜!」なんて。

ただ、この早寝早起がいつまで続くかは分かりません、だって冬のお布団は最強ですから、ねぇ?

2013年8月22日木曜日

グループ展のお知らせ


ブログでの告知が遅くなりました△
本日から!
____________

「 KOYORI 3 bon 」展
      8/22(木)〜8/25(日)
         11:00〜19:00
原宿 ART・IN・GALLERY
____________
高校時代の友人二人と
アクセサリーの展示と
販売を致しております!

竹下通りをまーっすぐ、
徒歩6分!夜7時まで
やってますので、是非
お立ち寄りください!
オーダーメイドも承っております

私は今日、明日おりまーす


2013年8月19日月曜日

月に、学ぶくん


帰路、スッキリ黒い夜空をふと見上げると、もう少しで満月らしい堂々とした月が出ている。

キレイだなぁ。
秋が来そうだなぁ。

この初夏、私は岡山県の山奥にあるトマト農家で住み込みアルバイトをしていた。

朝から夕まで畑の手入れをし、クタクタグッスリ眠るつもりだったが、頭がコウフンしてしまって寝付けない。

そんな時は、大きく開け放した窓から月夜を見る。いや、見るというより、この山奥では眩しすぎる程に月明りが部屋に射し込んでくる。

死んだじーちゃんが若い頃、帰路は月明りを頼りに山を進んだと言っていたが、本当だ、道が見える。

都会の灯りで育った私は、こんな事も知らなかったのか…と誰の所為にも出来ない情けなさと感動を抱く。しばらくして思想が一周すると、鮮明な明りに顔を背けて、励まされながら眠りについた。

それから、月と云えば狼。
遠吠え姿に憧れて、よく弟とオーカミゴッコをしていた(床をワンラワンラ歩いたり机の下を寝床にしたり、椅子の上で遠吠えしてみせる)。

そんな弟も明日で19歳。いつまでも仔犬のように戯れていたい姉である。

(写真は岡山の部屋から撮ったもの)


2013年8月13日火曜日

雷様への乙女心とやら


雷が好き、
ひっくるめて夕立が好き

夢見る男子には悪いんだけど、私が発するのは「楽しくってどうしよう!」の「きゃー!」であります

パリッとピシッと
濡れたタオルを勢いよく空中に伸ばすような、爽快な一瞬。光、音、止まる心臓、無遠慮な雨…

カッコいいよなぁ〜

怪しく澄んだ鉛色の空が、だんだんとこちらに滲み来る。そして、サーッとカーテンを引いたように、あっという間に大粒の雨が降り始め、窓にボテボテッと張り付いては、次の雨粒にゆっくり押し流されてゆく。

「ホォ…っ」と惚れ惚れしていると、遂に一発の雷が堕ちる。

ドーン!
「きゃー!(たまらんー!)」
ピシャーン!
「きゃー!(美しいー!)」
ガラガラガラッ!
「きゃー!(痺れるわー!」)

30分程このように夕立ちを本気で楽しみ、褒め称えるのが、夏の大好きな時間。(時に母も参加、弟は怖や怖やと云って部屋へ去ってゆく)

わたしゃ雷様の嫁になりたいでがす。
そして家族に愛の雷を落とすのです!








2013年8月4日日曜日

着色料の魅惑


昨日は浅草で、正しき「あんみつ」を食べました

何が正しいかは明確でないけれど、なんとなく喫茶で食べるのなら正しいと思っています

黄緑とピンクの怪しく着色された求肥が魅惑的で

それに、下の寒天の立方体と、その向こうにキラキラ透けて見える黒蜜の様子も見飽きません

食べ終わっても、底に残った薄い蜜と寒天のクズをスプーンでいつまでもグルグル廻して遊んでいられます

それから今日は新宿にて、正しき「クリームソーダ」を飲みました

うるさくこだわるなら「クリイム(←甘えて)・ソーダッ(←雑に)」の発音が好ましく…

バァさまになったら、常連っぽくかつ生意気そうに「クリイム・ソーダッ、ひとーつっ」と云いたい

こういうデザートは子供っぽくなる事を許してくれそうで好きなのです

それに着色料みて「うっわー怪しーい楽しーい」とはしゃぐのもアホぽくてワクワクします




2013年8月1日木曜日

ななめアイロンがけ



最近、アイロンがけが好きです

しかし、これがなかなか難しい
本や動画を見て少しは上手になったけど、ハンカチの端は波々するしシャツは油断するとすぐシワになる

でもアイロンがけの姿勢が好きです
空いた方の手で生地を引っ張り、シワにならない様に通り道をつくるのがコツだそうで、そこをスィーッとアイロンの先が道を拓ける様子がとても気持ちがいい

それにこの暑い中、窓を開けてセミの声をBGMに汗をかきながらアイロンするのも、夏だなぁ…と思わせて尚よし、なのです

ところで最近、珈琲をのむ練習をしたら少しずつだけどお腹をこわさなくなりました、アイスなんだけどね、ちょっとずつね、へへ




2013年7月16日火曜日

並べる図書館のドキドキ


家から40秒の所に図書館がある

小学生の頃、本は好きだったけど
「図書館はお勉強する所」という
イメージが強くて近寄らなかった

(クーラー涼しいから図書館で宿題
やりなはれ、という母の失敗かな)
………

本は好きだったと云ったけれど
それは(どちらかといえば好き)で

しかも(どちらかといえば絵とか
写真の多いものが好き)で

さらに(それを気分的にパラパラと
めくって、その微風を顔に感じる
のが好き!)

という、こだわりようだった

よって今でも
好みの本を新たに、捜す時には

①文頭1、2行目のシックリ感
   (言葉の呼吸がわかるもの)
②表紙(タイトル、装丁)

このふたつで決める
買うか悩んだ時は、パッと開いた
ページを読んで、引き込まれるか
どうかで判断する

私がすぐに、なつけるもの。
………

そんな、こだわり本達のお陰で
本が好きになり、この頃すこし、
図書館も好きになった

休日や、平日の夕方にもなると
貸し出し口に、長い列ができる
私も5、6冊抱えて静かに並ぶ

だけど、列が縮むにつれ
なんだか緊張してくる

なんでかなぁ、あれ?
カードっていつ出すんだっけ?
ドキドキドキドキ
………

ドキドキのわけは、お通夜の
お焼香の列を思い出していた
からなのでした

お母ちゃんの喪服の裾を
引っ張りながら、あと8人…

弟がソワソワするので
お姉ちゃんしっかりしなきゃ
あと6人…

え、オカンと弟2人でやんの?
私、この知らんおばちゃんと?
あと4人…

えと、最初にお辞儀かな、
手は叩くんだっけ、
つまんだやつ、どうすんの、
手、焼けない?!

(で結局、横目でマネしながら
無事おえる)

そんなドキドキの思い出


でもやっぱり

ほれ、今日はじーちゃんが好き
だった今川焼を買ってきたで!
って仏壇にお供えと線香あげて

その今川焼きを食べながら
本を読むのが一番好きです











2013年7月11日木曜日

しょぼくれ時



どうしたって
しょぼくれる時がある

ビョーキかな
熱があるかな
お腹痛いかも

仮病小学生みたいに

しょぼんじゃって
ヘトヘト歩く時がある

膝カックンされたら
ありがたく転ぶだろうよ

それで地面に片頬つけて
すこし、安心する

あーこれが心臓音かもね
雨が染みたコンクリート
近所の蚊取り線香…ぐるり

だんだん、
ゆったりと時間が溶けて
回復しはじめる

でも今日はそうじゃない

ヘニャヘニャと
もたれる椅子を捜してる

椅子は、どこかな、

どんな椅子が座っていいやつ?
そもそも、そんな椅子を
持っていたっけ

………?

2013年7月8日月曜日

めぇ めぇ、する


あなたの名前はなんですか

私の命につけられたのは、
祥乃(よしの)という名です

私もいつか子を産んで
その命に呼びかけたいと思う

名前は「音」なので、呼んだ時に
できるだけ穏やかさが響く名前に
してあげたい

呼音は長年かけて性格に浸透する

私の名はO(オー)がふたつ入るので
のんびりした呼び名だ
yo(O)shiiinoO といったかんじ

案の定、温室育ちのお嬢になった

新しい命の名前
いくつか候補がある

音も漢字も、風を感じるような
ものを使いたい 日本人らしい…

今まで素敵と思った名前は
少女なら、かのこ・きぬの

風鈴とか布、お豆腐が似合う
そんな雰囲気…

_ _ _ 
私の母はいつも云っている
「親は子供に育てられるのよ」

名前は与えるものだけど
長い年月、その名を共有し、
その子が歳をとったとき
革財布のように味わいを増す

その時にやっと親の、
命名という役目が果たされる
そう思う

まぁ、なんにせよ
愛持って私の名を呼んでくれる
お相手を見つけなさいよ、って
ハナシですな、おほほほほ




2013年7月6日土曜日

呑めない珈琲


珈琲の存在感が、とても好きです
でも飲めません、酔っちゃうので


そう、珈琲を淹れましょうか

木製の椅子を引いて立ち上がり
湿気で点火の調子が悪い、
コンロを叩き起こす…ボッッッ

青と黄緑と紫、白の炎が点いて
チッチッチッチッという音を
たてながら水が温くなってゆく

湯が沸く合間にコップをえらぶ
色は季節に合わせてえらび
口は少し厚めのものがいい

ペーパーフィルターの端を丁寧に
折りたたみ、挽いたばかりの粉を
ザッザッザッとその中に移す

人さし指を立てて、
粉の真ん中にすこし押し込み
「コピ・ルアック」と唱える

カモメ食堂で覚えたオマジナイ

手元にかかる熱々の湯気を
吹き払いながら、湯を注ぐ

そーっと、そーっと
私はこの時間を大切にしてます
ほら見て見て〜といわんばかり

…カンペキだわ!
香りもいいし、色もとてもいい
ベランダのミントも、曇り空も
机上の散らかり具合も丁度良い


だけど飲めない、カフェオレも
後で鼻がムズムズしちゃうので

なので母の為に珈琲を淹れます
雰囲気だけ、十分に味わいます


珈琲が飲めたら大人なのかな
たしなむ、って何かしら









2013年6月29日土曜日

考えるアザラシ



溺れたら死んじゃうんだよ

と云った人がありましたが
私はなんとなく、そう思いません

溺れたら、沈むんでしょうか
泳いだら、浮くんでしょうか

夏といえば、プールです
大嫌いで楽しみなプール

私は25m泳げません
泳ぎ方がわからなくて
ジタバタして心も体も沈みます

だけど、いつだったか
息を止めて、動かずにいれば
身体が浮くことを知りました

うふふ、なんだか楽しいわ

たまに、思い出したように
新しい空気を肺にいれに
水面に顔を出します

そんな時、水面から顔を出した
私に、無理やり酸素ボンベを
咥えさせる人がたまにいます

まるでアザラシの呼吸時を狙う
ホッキョクグマです

だけども
すぐに嫌な顔したらいけません

こういうものは
たぶん、いつか、役に立つのです

例えば
水中で足をツった時

自分じゃどうしようもなく
曲げても伸ばしても治らず
沈む底しか見えなくなったとき

そういう時、この頂戴した
酸素が、肺に繋がるのです

そうやって図々しく
要素を蓄えているこの頃です

なんだか
カキ氷、食べたくなっちゃった






2013年6月26日水曜日

ラヂオ曜日


ラヂオは日曜日である。

休日は父と二人で、車で30分の祖父母の家へよく遊びに行った。

お互い少し気まずさを抱いて、父と娘、車中で何を話そう。そんな空気を和らげ、まぁいっかぁと思わせるのがラヂオだった。

チューニングはいつもJ-WAVE。
ピストン西沢がヤンワヤンワ言っている。たまに「家族団らん、マックへいこう」みたいなCMが流れて気まずい。さらにピストン西沢がシモネタを言うのでよけい気まずい(しかもこの件が長い)。

たまにユニクロに寄ったり、CMの影響かマックでお昼を食べたりした。お父ちゃんはでっかいハンバーガー、私は当時ハマっていたアップルパイ、ポテトは半分こする。そしてまるで儀式のように無言で食す。

祖父母の家に着くと、そこでもたらふくオヤツをすすめられ、満腹と眠たさの中また父と車で帰る。

帰りのラヂオは夕方のBGM。

家に着くと(珍しく)買って貰ったユニクロの袋をあけて、ウフフと思う。それでも父の前ではニヤニヤ出来なかった。だから「アリガト、ウ」と素っ気なく云うと夕飯まで部屋にこもった。それで翌日着てみたりする。


へんな日曜日。
お父ちゃんと娘っ子はぎこちない。
ラヂオは特別、日曜日である。

2013年6月20日木曜日

こーり、ください。


こーり、ください。

こーり、あげます。

小学生の頃、冷凍庫の製氷機がキライだった。ガラガラッといって勝手に氷を作ってくれるやつでないので、自分で型に水を入れてそれを三段分つくって冷凍庫で冷やす。そんで固まったら型をギシギシ歪ませてケースに氷を落とす。

夏休みは特に氷に手がのびる。するとケースの氷はすぐ底をつく。

もう無くなっちまったよ、とボヤきながら面倒くさがりな私は、また直ぐに作らないで済むように型一杯まで水を入れたが、それが余計に事を難しくしていた。

表面張力を発揮した型をソロソロと両手に持ち、ゆっくりと背の高い冷凍庫に足をむける。あ、いけない!扉を開けるの忘れてた!慌てて型を置こうとして床に水をぶちまける。あーぁ。

TAKE2。今度は扉をあけて冷凍庫に受け入れ体制をとらせ、それからまたソロリソロリと半回転し型を運ぶ。ついに扉を超えた!と思ったら、おやおや爪先立ちしないと押し込めない。プルプルと足先でふんばり冷凍庫を覗こうとすると、閉じかけた扉に腕が当たり、私は再び水を浴びるのだった。あーぁ。

ちっとも学習する姿勢を見せず、毎度同じ事を繰り返し、ついにすすんで氷を食べたいと思わなくなった、だって作らなきゃいけないから。

でももしかしたら、そんな事をわざとやっていたのかも知れないと今思う。あーぁ、またやっちゃった!へへへ、と笑ってるのが楽しかった。人から見たら何やってんの、シッカリしなさいよと思われるようなことが、私にとっては楽しいんだからしょうがない。言われることが、じゃなくてこっちの世界が勝手に楽しい。

しょーがないんだけど、いつまでも床を濡らすわけにはいかないので視点をかえる事にした。氷は見るもの、になった。グラスの中でもバケツの中でもアラレでも。そしたら、悪くないように思えて、いつか丁寧に氷を作るようになった。

今はもう背も届くし、片手で扉の開け閉めだって出来るけど、不器用な私だって嫌いじゃない。今できないこともオバァチャンになったら出来るのだろうか。生きてる中で、あと何百万回、あーぁ!と思うのだろう。小さい私はオバァチャンになっても氷をボリボリたしなむ、丈夫な歯が欲しいのである。

2013年4月5日金曜日

しっぽの様子

ブラックホールなそらさん


「春だにょ」と、そらさんが云いました。
そらさんとは、砧公園でたまたま出会った写真のシー・ズー犬で、御歳11歳。爪をチャッチャカいわせてテンポよく歩く姿に心奪われた。

祖父が飼っていた影響もあり、最近シー・ズーがたまらん。
祖父んとこのは名をジュディといい、私よりいっこ上のお姉さんでとても美犬だった。犬のわりに愛想はあまりなく、しかしスーパーの袋をガサつかせると尻尾を振って近寄る素直なお嬢さんでもあった。

ちょうどいい距離感だったのかも知れない、と今想う。

小学生になった私にジュディは挑発的になりトイレのドアの前で待ち伏せ、扉を開けると吠えたてる。中学生になると和解して、お腹を枕にできる仲になり。高校生になると彼女はすっかり老犬で、散歩はモップのように引きずられるお掃除コースとなっていた。

雑巾みたいに色んなもんくっつけて。ヨテヨテあんよして。お煎餅の匂いに誘われて。なんだか、女の友人のような距離感だった。

私、仲間は少ないけど、友人が何人か居る。
無理に会おうとしないで、ただ会って喋って楽しかったらそれでいいし、ショックを受けたり、ぼーっとしててもそれでいい。そんな仲。

中3の頃にいつの間にかジュディは死んでた。というか、死んだ事をだいぶ後に母に聞いた。悔しくって切なくってシャワーの中で溺れるように泣いた。梅雨時、洗面所のタオルの臭さはジュディを思い出させる。くっさいなー!と云いながら会いたくって仕方ない時がある。

うーん。今会えたなら愛想好く尻尾を振ってくれるのかい?


ペロンチョなそらさん


2013年3月29日金曜日

脱け殻の味



26日は大学の卒業式だった。

実感が湧くとか湧かないとか、どちらでもいいのです。ただ、この時間に居るので、それでいい。


何かをやり切ったとかドンチャン騒ぎはしなかったけれど、淡々と楽しんだ、苦しんだ。へこたれては「私はマイナスの世界に生きるタイプなのかしら」と考えたり、ふと笑う自分をガラス越しに見て「やっぱり笑顔が似合う人間に成りうるのかしら」と謎めいた。

浮遊して泳いで時間を過ごした。

だから『この四年間、』なんて言葉で落ち着かせたくない。いまの呼吸は明日の空気。

自分でさえ溺れる起伏の激しい感情持ち、沢山の人達に色んな想いをさせている。傷つけたり、穏やかさを感じてもらったり、怒らせたり、涙させたり。

思わぬひどいこと、本当にごめんなさい。それでもそうじゃなくても、本当にありがとう。

ツンケンしたこの性分を反省しております。



本当はこれからのこと、不安で仕方ない。死ななきゃいいと思っているけど、そんなんじゃない。

だから旅に出る、そのつもりで生きていきます。

そしたら楽しいよ、脱皮作業。脱け殻はそうだな、唐揚げにしようね。

2013年3月21日木曜日

さわりたーい



器を作るようにようになってからここ最近、「触れたい欲求」が増している。

というのも私が作る器は、竃もロクロもない家での制作になるので自分で工夫して成形する必要がある。手になじむ程好い厚みが好みなので、生乾きの状態で彫刻刀やカッター、爪楊枝などを駆使して手をぷるぷるさせながら懸命にカタチ作る。


そんな器作りに没頭していたある日、遂に町を歩くだけでその風景が「彫刻作業」に見えるようになった。


アニメーションみたいに巨大な手が現れて、目前のジオラマ化した町並みを彫刻セットで造りあげていくのだ。(本当に見えてる訳ではない。ただ、リアルな妄想が出来るようになった)。例えば、斜めに立つ石壁を「平刀でワシワシ削ってるなぁ」とか、アップダウンのある滑らかな道は「せっせとヤスリかけては、感触を確かめ嬉しそうにしている」とか、そんな手の作業。



こんな風に、ふとした瞬間「感触の感覚」が押し寄せるようになったので「触れたい欲求」が増したわけなのだ。最近なら「木蓮のツボミ」。ふぁっさふぁさの毛が渋みのある黄緑色を膨らませて、ぼわんっと花を咲かせる。あのふぁさふぁさが、いい。触りたくなる。


高校生のとき、買ったばかりの桃をよーく見ていたら表面にふさふさ毛があることに気づき思わず頬にスリスリしてみたが、あれは失敗だった。チクチクが刺さってかなり痛かった。


あとは、砧公園の入口に立つ白い樹や、お稲荷さんの狐、刺繍の裏側、バスの座席のコクコクした布、雑巾臭そうだけど目があう犬、じいちゃんの墓石、男の子のプール帽からチクチクでた髪の毛・・・など、たくさんある。


でも今一番触ってみたいのは、舟越保武さんの彫刻。名前は忘れたけれど、女性の頭部の作品で、そのあまりにも崇高な表情が見ているだけでは辛くって、手を伸ばして許しを請いたくなった。もっとベタベタ触れたらいいのになぁ、美術館め。

2013年3月15日金曜日

あぁ物欲の、切なきことよ




昨日は友人と卒業式に着る服を見に、お銀座へ。
せっかくなので、なにか、永く着られるものを。

幼少期から、服を買ってもらう時は安くてそれっぽい物を選ぶと祖母なんかは「あんたは服選びが上手ねぇ」なんて煽ててくれるもんだから、私はすっかりその気になって庶民派店内をズンズン歩き回った。

そのクセが貧乏美大生になると開花した。
ライトが眩しいお店は苦手、近所の埃っぽい古着屋やリサイクルショップが丁度いい。そして目があったアレコレを愛でる、持ち帰る、あぁかわい。少し古びた雰囲気の誰ぞ知らぬ形跡を感じ、よくぞこの手元に来てくれた!と想う。

そんな育ちだもんで、銀座のデパートはちょっとした覚悟がいる。
ノリの効いた新品たちは誇らしげに定位置に佇んでいる。「私が、服を選ぶ」のではなく「服が、私を選んでいる」そんな視線、キョーレツ。


でも今回は一人じゃないので、気持ちに少し余裕があった。仲間数で勝負というわけ。憧れのブランド服(mina)をここぞとばかり試着したが、いつぞ着られるか解らぬ高額に肩を落として店を出た(基本的に3千円以上の物は高額という見解なので桁が違った、覚悟はしてたけど)。

あぁ、なんて切ないのでしょう。手に入るか分からない、物を欲する強い想いは幼心にツーンとくる。小さい頃、弟がスーパーのお菓子売り場を舞台に泣きじゃくってダダをこねていた心情を想う(彼が切ない想いをしたのはラムネ付きポケモン指人形)。


それにしても本物っていい。袖を通してみて改めてその価値を感じた。創り手の想いがポーン!と形になった物は全部、本物だと思う。テマヒマかけたかどうかではなく、原価が安くても高くても表情のあるもの。そういった点で、古びた物は「人慣れ」しているというか、「まぁ選ぶんなら選びなよ。俺はあんたん家行ってもいいよ、ただ陽のあたる所に置いてくれよな」みたいな顔をして話しかけてくる。


そんな物創りをしたいと思いつつ、ショップで頂いたISSEI MIYAKEのお煎餅を眺めて、果て卒業式はどないしましょうと頭を悩ませている。

2013年3月13日水曜日

ごあいさつ





ホームページが出来ました。

ホームページとウェブページの違いも解らないアナログ人間です。
調べてみたら、一番易しい解答がありました。「スイーツとデザートの違い」だそうです、とても判りやすい。

ついでにブログも始めてみた。
情報過多だの、物の価値だの云ってSNSから距離おいてるつもりでいたけど、そうでもなかった。

共感してもらえるって、やっぱり嬉しいもの。応えがあれば質問も果てない、その逆も。お陰さまで超機械音痴の私でもホームページが作れちゃった訳でございます。
つまり、すっかり先進国の一員なのです。生まれたときからそうだった。


外では多くの人が手元の小さくて広い世界を、懸命に、しかしボンヤリと覗き込んで歩いている。そんな景色を見ると「猫村さん」で人気の、ほしよりこさん著「たろちゃん」という漫画がコチョコチョと心をつつく。


四歳のたろちゃんは「ネット」が欲しい。つられてアナログ人間のお父さんとお母さんも「ネット」が気になり始める。

(以下ブログについて父の見解)「その日記のことなんとかっつーらしいんだけどな、日記てのは机の引き出しん中しまって人には絶対読まれたくない訳じゃん?
それを大人が人に読まれるために書くってんだからよ、なんつーか、大人が恥らわねぇ世の中になったもんだぜ」


ドキリ ギクリ キラリ

とても大変な作業なのだ、人と会う事は。

だって言葉が追いつかないことが沢山ある。

だから、紙面やこの画面の中で時間をかけて言葉を選ぶ(練習をする)ことは、とても重要だと思うのです。手紙ならば相手の、日記ならば自分の、いま本当に欲している言葉(感覚)を抜粋してあげる。それは人に触れることで身についた、心情の傷や治癒力がないと出来ないこと。それって恥じらう事ではない。

それでも、こうして脱アナログ人間することに後ろめたさを感じるのは、お家でゴロゴロしていたい怠け心が、ダダをこねているからなのです。


だから私は気まぐれに、真剣に、言葉を綴っていきます。よろしくどうぞ。(むしろ恥をさらすくらいが、私には丁度いーい。)