2013年9月24日火曜日

シナモン・ヒロイン


職場の隣はカフェ付きパン屋さんだ。事務所の窓を開けていると、朝から挽きたての珈琲豆が、強く香ってくる。

この二ヶ月、珈琲を飲む練習をしていたら、微糖なら淹れたても美味しく頂けるようになった。お腹も壊さなくなった。

珈琲の濃いーい薫りの合間に、焼きたてのパンの薫りが織り込まれて、私の鼻に届く。クンクンクン、わぁ幸せ〜。

デスクの上に、白いお皿に乗った厚切り角食と、お気に入りカップに注がれた珈琲が見え始める(※妄想)。パンはそのままもいいけど、シナモンがあると尚嬉しい。この香りが苦手な人も多いけど、構わず、甘さに少しクセのあるシナモンやココナツが好きだ。(あとキンモクセイも。) 

それで今、すっかりシナモンと珈琲中毒になっている。こういうのは特に、秋にかかりやすい。魚座の私は妄想にふけて夢見るのが得意なので「隣店から珈琲が薫る!」なんていう一説はとてもロマンチックに思える。

たぶん、本の読み過ぎだろう。
読書の秋、私はフィンランドの喫茶で、しとやかにページをめくる。ふりをする。



2013年9月21日土曜日

ポーカーフェイス・マネー


お金に慣れない。
なぜだろう。

ジャラジャラしたもの、うすペラいもの、金属のニオイ、苦手。数字、電卓、算数、割引、おつかい、おつり、返品交換、領収書…。緊張してきた、頭まっしろ!フリーズ寸前!

なーんて、これだけ言い訳を並べてみても付き合っていかなきゃならないのがお金たち。どうしたら仲良くなれるのかしら?

ふと、メイちゃんのごっこ遊びを思い出す。ブチブチちぎってきたであろう花を、お父さんの机に並べて「お花屋さんっ!」と満足気に云う姿。あぁいう真面目さが物売りには必要だと思うし、それにはやはり、ドングリ貨幣がシックリくるように思う。

それに、昔々は貝殻や石が貨幣代わりだったという話じゃないか。これなら私の両手にも心地良く馴染むのに。でも…それがすごく気に入った形の石だったら?綺麗な色の貝殻だったら?それ自体に価値を見出してしまって、物々交換も躊躇しちゃうかも知れない。

そうなると、いくらでも世界で生産されている、あのポーカーフェイス札や、いつまでも懐かない小銭たちの素っ気なさが、丁度良い気もしてくる。

あーでもでも!やっぱり、お財布の中で小石や貝殻がチャカチャカ鳴ってたら可愛いなぁ。「え〜何色がいい?これ?これはだめ!だってこんな綺麗な三角の石、めったにないよ!この丸いのなら、そのモナカ1個と交換してあげる」とか云って。

(今回も、根本的問題は未解決。)


2013年9月16日月曜日

親愛なるジジババさま



「おじーちゃん、おばーちゃん、これからも元気に長生きしてね!よしのより」

今日は敬老の日だったけれど、台風の為、会いに行くのは延期になった。

小さい頃からこのイベントには気を使う。毎年使い回すメッセージが、なんとまぁ、ありきたりなんだろう!だいたい、長生きすりゃいいってもんじゃない。

父方のじいちゃんは生きることにすごく執着している、死を恐れてる。胸にはペースメーカー、膝には注射、両目の手術、何錠もの薬を飲みどの薬が効いているのか解らない。ジェンガのような機械ニンゲンだ。

一方でばぁちゃんは、「遺言書はここに閉まってあるから」「あんたが撮ってくれたあの写真、遺影にしてね」なんて云うもんだから私も「じゃぁあのお皿とスカーフもらうね」なんて話をしている。

母方のじいちゃんは7年前のクリスマスの朝に、ケーキを二切れも食べて満足して静かに死んだ。ばぁちゃんには正月以来会っていない。

いつまでもあると思うな親と金。
最近少し口うるさくなったジジババに、ウンザリすることが増えている。こんなに大事に育ててもらって、どの面がそんなこと言うのか。

だから。
「程よく生きてちょうだいね、」と伝えたい。放ったらかしな云い方じゃなくて。来たる死に際に、自分はこれでよかったらしい!と思えるように過ごしてね。

「はい、そろそろ時間で〜す!」という神さんの声に耳を傾けて、それまでは私も「ハイハイ、いつも生かしてくれてありがとーう」と手を合わせていたい。

2013年9月12日木曜日

まめまめしくまめする。


どうも自分は豆類が好きらしいことに気がついた。食べるのはもちろん「まめ」という音にも弱いようだ。

ま め ま め
ま め ん ま め ん
ま め め め め
ま ー っ め っ
ま め ー ぇ っ

その転がる様子も愛らしい。グリーンピースをサヤから外してやれば「今だ!」と言わんばかりに走り出し、枝豆もパッチーン!と飛躍する。「おい、豆たちよどこへゆく?」球体は私の声などお構いなしに、ただただ、その歪な丸に身を任せ転がってゆく。

そんな気ままな態度や、脱走に失敗してグツグツと煮られる姿はいつまでも見飽きない。

以前、教授と漢字の成り立ちについてお話したとき、私は「描く」という字は「(手)で(苗)を植える、創造物なんだ!」と熱く語った。

すると教授からのお返しは「豊」という漢字だった。「(曲)がった(豆)が(豊)か、というのはなんだか面白いよね」と。おーぉ、やっぱり豆は魅力的なんだなぁ〜!

そんな豆を見習って私も、まめまめしく働いてみようかと思った。が、しかし、ついさっき「まめまめしい」という漢字が「忠実忠実しい」と書く事を知り、私めには不釣合いなこの二文字に、まさに豆鉄砲を食った鳩のように呆然としたのであった。


(写真は岡山で撮ったもの)赤飯に炊いてくれた小豆と、ジサマの手から逃げようとするグリンピース。

2013年9月4日水曜日

赤飯色の女


ピンク色、着たいな〜!と思う事が、この私にだってたまにはあります。

へにゃふわ〜くるくる〜リボン〜白色〜前髪〜テヘペロ〜

もしこれらを全てまとったら、私は一体どこへ行っちゃうんでしょう。優しく愛しい乙女像、もしくはどろどろ悪女像のどちらも持ち合わせていないので、着られてる感が否めません。

部屋を見回してみても淡い乙女ピンクな物が見当たらない。強いていえばサーモンピンクがかったハンカチが一枚。タンスの中は紺・青・生成・茶・緑のオヤジカラーがズラーリ。

だって、なんだか照れくさい。柄や素材、形でチョッピリ女子要素を入れるのが限界です。まとった物で、少しでも女子限度を超えると、もう電車なんか恥ずかしくってしょうがない。とうとうオイラ、やっちまった〜!帰りたいよーう。(リクエスト曲はもちろん、ハンバートハンバートの「罪の味」)

そしてふと我に返る。そうだ、私は東京育ちの芋娘でいいのであった!と。そう、ピンクのくだりはフェードアウト・フォーエバーなのであります。

p.s.お赤飯と鮭のピンクは好きです。