2013年3月15日金曜日

あぁ物欲の、切なきことよ




昨日は友人と卒業式に着る服を見に、お銀座へ。
せっかくなので、なにか、永く着られるものを。

幼少期から、服を買ってもらう時は安くてそれっぽい物を選ぶと祖母なんかは「あんたは服選びが上手ねぇ」なんて煽ててくれるもんだから、私はすっかりその気になって庶民派店内をズンズン歩き回った。

そのクセが貧乏美大生になると開花した。
ライトが眩しいお店は苦手、近所の埃っぽい古着屋やリサイクルショップが丁度いい。そして目があったアレコレを愛でる、持ち帰る、あぁかわい。少し古びた雰囲気の誰ぞ知らぬ形跡を感じ、よくぞこの手元に来てくれた!と想う。

そんな育ちだもんで、銀座のデパートはちょっとした覚悟がいる。
ノリの効いた新品たちは誇らしげに定位置に佇んでいる。「私が、服を選ぶ」のではなく「服が、私を選んでいる」そんな視線、キョーレツ。


でも今回は一人じゃないので、気持ちに少し余裕があった。仲間数で勝負というわけ。憧れのブランド服(mina)をここぞとばかり試着したが、いつぞ着られるか解らぬ高額に肩を落として店を出た(基本的に3千円以上の物は高額という見解なので桁が違った、覚悟はしてたけど)。

あぁ、なんて切ないのでしょう。手に入るか分からない、物を欲する強い想いは幼心にツーンとくる。小さい頃、弟がスーパーのお菓子売り場を舞台に泣きじゃくってダダをこねていた心情を想う(彼が切ない想いをしたのはラムネ付きポケモン指人形)。


それにしても本物っていい。袖を通してみて改めてその価値を感じた。創り手の想いがポーン!と形になった物は全部、本物だと思う。テマヒマかけたかどうかではなく、原価が安くても高くても表情のあるもの。そういった点で、古びた物は「人慣れ」しているというか、「まぁ選ぶんなら選びなよ。俺はあんたん家行ってもいいよ、ただ陽のあたる所に置いてくれよな」みたいな顔をして話しかけてくる。


そんな物創りをしたいと思いつつ、ショップで頂いたISSEI MIYAKEのお煎餅を眺めて、果て卒業式はどないしましょうと頭を悩ませている。

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