2013年3月21日木曜日

さわりたーい



器を作るようにようになってからここ最近、「触れたい欲求」が増している。

というのも私が作る器は、竃もロクロもない家での制作になるので自分で工夫して成形する必要がある。手になじむ程好い厚みが好みなので、生乾きの状態で彫刻刀やカッター、爪楊枝などを駆使して手をぷるぷるさせながら懸命にカタチ作る。


そんな器作りに没頭していたある日、遂に町を歩くだけでその風景が「彫刻作業」に見えるようになった。


アニメーションみたいに巨大な手が現れて、目前のジオラマ化した町並みを彫刻セットで造りあげていくのだ。(本当に見えてる訳ではない。ただ、リアルな妄想が出来るようになった)。例えば、斜めに立つ石壁を「平刀でワシワシ削ってるなぁ」とか、アップダウンのある滑らかな道は「せっせとヤスリかけては、感触を確かめ嬉しそうにしている」とか、そんな手の作業。



こんな風に、ふとした瞬間「感触の感覚」が押し寄せるようになったので「触れたい欲求」が増したわけなのだ。最近なら「木蓮のツボミ」。ふぁっさふぁさの毛が渋みのある黄緑色を膨らませて、ぼわんっと花を咲かせる。あのふぁさふぁさが、いい。触りたくなる。


高校生のとき、買ったばかりの桃をよーく見ていたら表面にふさふさ毛があることに気づき思わず頬にスリスリしてみたが、あれは失敗だった。チクチクが刺さってかなり痛かった。


あとは、砧公園の入口に立つ白い樹や、お稲荷さんの狐、刺繍の裏側、バスの座席のコクコクした布、雑巾臭そうだけど目があう犬、じいちゃんの墓石、男の子のプール帽からチクチクでた髪の毛・・・など、たくさんある。


でも今一番触ってみたいのは、舟越保武さんの彫刻。名前は忘れたけれど、女性の頭部の作品で、そのあまりにも崇高な表情が見ているだけでは辛くって、手を伸ばして許しを請いたくなった。もっとベタベタ触れたらいいのになぁ、美術館め。

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