2015年2月16日月曜日

テレポートできる



窓を開けておくのが好き。
どんなに寒くても 空気を入れたがる。

夜の帰路、風が吹くと 本当に顔がピリピリと痛む。だけど、王蟲がナウシカを包んだように「風が触れてるなぁ」と思うと官能的でさえある。すごく安心感がある。ぜひやってみて下さい。

風は本当に様々な記憶と結びつく。そういう存在と知ってから、ますます「感度」をあげるよう努めている。2年前、山奥で働いた土地を離れるとき。土やその周辺を 都会でも思い出せるようにと、一番好きな場所で全神経を集中させた。だから都心に居ても目を閉じれば神経はテレポートできる。細部ではなく全体に戻れる。


今週、修繕工事で 我が家はマンション丸ごと網の中に入る。窓をあけても騒音やペンキの匂いが流れ込むばかりになるのだ。残念だけど、こればっかりは仕方あるまぁ。工事の間はできるだけ外へ行き、好きな土地を増やそう。

2015年2月4日水曜日

チマチマつなげて一人



なんだか 落ち着かない。

後藤健二さんの、伝えようとしていた姿勢 を知って「わたし 自分の内側から外に向かうこと怠っているな」と思った。チマチマ発して チマチマ反応があって。それで嬉しいけど、その筈だけど、このピンとこない感じは そうじゃないってことだ。

身体中、怒りと哀の粒子が走りまわる〈チマチマ〉ゆえ〈チマチマ〉する。人の所為にする、自分の所為にする。それは違うってこと、そういうことを考える 大事な時間を、気がつくとカットしている。「のびのび生きるんだ、難しいことは忘れて良し。」と思っている怠け者

大声で世の中に物申すより、近くのひとをツンツンつついて〈ねぇ こんなのあるよ。こうすると君に似合うね。でもこうすると変だね〉〈へ?僕これ似合うの?あらそう?こうすると そうだな、こっちは君に似合うみたい。〉という…そんな、小さくても刺激性のある〈作用〉でありたい。

後藤さんだってチマチマを長く繋げて出来た一人。殺害を実行したイスラム国の人間だって、正しいと思ったチマチマを繋げて出来た今の一人なんだ。そう考えると私のチマチマ真義は揺らぐ。個人とは なんと怖いものだろう。それでも この子らがたくさん泳いで届くように、流れをつくらねば 。じいちゃんが死んだ時もそうだったけれど、亡くしてから気づかされる事は沢山ある。

薬と一緒。私が〈作用〉する人や物事は 全てじゃない。大半が互いにハズレくじ。じゃぁ生きてる間によ、できるだけ作用する人を見極めてくじを引いてもらおう、引かせてもらおう。

イスラム国は憎しみを原動力にして 一体どんなところに腰をおろすのだろう。赤信号を手繋ぎで渡るグループは無理でも、銃やナイフを突きつけてくる〈個人〉になら 命をかけてようやく一つ、なにか遺せる気もする。書きつつ「命がけ」には賛成出来ないな とも思う。仲間・繋がりの包容力って善悪の紙一重なんだなぁ。





2015年1月24日土曜日

パン・チャージ


先輩のお宅へ嬉しいお呼ばれ。

焼きたての手作りパンとチキングリル、バジルソースのサラダでお出迎え、なんたる しあわせ〜!


通い始めた パン教室用に買ったという 新品のノートに表紙絵を描かせてくれました◎ 高校生のじゃれあいとはちがう「絵を描いて」というご依頼(=仕事ではなく、ちょっと生活に彩りを足すこと)ってあまり無かったので、すごく嬉しかった!人前で絵を描くのは多少 力むものですが、不思議とスラスラ〜と鉛筆が進みました。いつも音楽をかけて作業をするので、その波長が合っていたのかも知れません。ジャズなんぞかけちゃって、雰囲気に酔える 素敵な午後でした。


パンもブローチも絵も試行錯誤の繰り返し。新しい手法も考案中です。まだ 挫けないぞー!



2015年1月13日火曜日

ものずき


先日、骨董市に オオカミ・ブローチ(下 写真)を着けて行ったら、お店や通りすがりの方々が目に留めてくれて。こういう「ものずき」な人が集まる所が 私の居場所なんだと、それを実感できて とても嬉しく思いました。

このブローチは 陶土の初期作品で〈お護り〉として創ったものです。それから2年 独学(というより感覚)でブローチを創り続け、キレイに仕上げる力がつきました。ゆえにか 何故だか今は〈いびつさ〉が出せなくなってしまった。どうしてかしら。もっともっと表情のあるものを創り続けたら、味わい深いものが出来るかも。基礎を知らずに始めたんだから これで順調なのだ。

嬉しくなって久しぶりに濃いものを創っています(上 写真)。最近はお花など万人受けするものを創っていたから、時間が掛かっても個性のあるものを。「買いたい」と価値を見いだしてくれる人が居るのならそれに応えていきたいです。




2015年1月11日日曜日

ほがらか に吹く


今年 得たいものは「 朗らかさ 」です。なんとなく考えていたらピンときたのでこれにします。なんとなくでもピンときたなら、それであってる気がします。

ほがら・か朗らか
心にこだわりがなく、晴れ晴れとして明るいさま。

なんと!「明るい」とな!私にはあまり似合わない言葉だ。どちらかというと「暗」が好きで、よく頂くお言葉は「落ち着いてるね〜」。キャピキャピとはかけ離れているのだ〜。でも大学を卒業してもうすぐ2年。わたし、ちょっと変わりました。「暗」から「陰湿さ」が蒸発していったようです。これって、すごくすごく!よかった〜。

人生2度目の暗黒時代である4年前、「自分(プライド)崩し」を心に決め、不器用ながら それは地味に地道に従って参りました。「明るくなろう!」というより「すがすがしく 底抜けに」というニュアンスが近いです。「心にこだわりがなく」というのは「陰湿さ」や「押し付けがましさ」「不快感」を与えないっていうことなんだろうなぁ。

とくべつ面白いことを言える訳ではないし、相変わらず一癖、二癖あるけれど。それは同じ「湿」でも台風の前の怪しい温風の「なんか来るよ・・・!」に似た刺激になるといいな。言ってる事分かってもらえるか分からないけれど、それでもいいんだ って思えるようになったのが 今年始めの一歩です。






2014年12月20日土曜日

グレて良い。


今季の製作テーマは「窓辺のブロウチ」。

窓の向こう、見えたり 見えなかったり。見たかったり 見たくなかったり。ちょっと口を噤(つぐ)みたい時に、色の力をかりても いいんでないの。

写真作品のタイトルは「大人心の窓」。雲ゆきが怪しくとも 凛とあれ。


「大人だから」の圧力と自責に苦しめられたら、とことん溺れて良いと思う。ただし「溺れる=流れに身を任せる意思」が含まれていること。分かっているけど今の自分じゃどうしようもないとき。人に心配や迷惑をかけるけれど、グレちゃって良いと思う。「凛」というのは しっかり美しくあるだけでなく、その環境・時期に向き合う姿ではなかろうか。そらもう波に流されて芯がブレブレになるくらい とことんに。

いま心痛めてる あの子に捧ぐ。
理不尽なこと、たくさんあるから。それに負けそうなワガママな自分を不甲斐なく思っているなら、まずは自身を許していいと思う。

ブローチの話からちょっとズレたけれど、辛かった時期を思い出したら共感しちゃって。あの頃は本当に虚しくて生きにくいと思った。でも今なら出来ることも我慢できることも増えた。時間が解決してくれるって本当にその通りだ。

今はこうして仕事と作家活動をボチボチできるまで復活したので、今は人を励ます方に回っていたい。

2014年12月10日水曜日

電気が走った跡のこと


2014.12.6-7 GUNMA

法事で群馬へ。私が高校3年生のとき 大好きだったじーちゃんが亡くなり、「人が死んで遺せるもの」を遠くで電気が走ったように ぼんやり感じた。私が初めて尊敬した人。剣道を始めたきっかけ。自然が好きなわけ。大人の男の恐さと優しさ・堅実さを醸し出した人。

高校生の頃なんて、持ったばかりの携帯やお化粧道具、スカートの長さばかり気にして。今の私を見たなら何を想う?「大人になったな」と頬を緩めてくれたら、そうしてくれたら どんなに嬉しいだろう。考えるだけで涙が出る 会いたい、じーちゃん 会いたいな。でもその言葉を頂くには まだまだ生き足りないから。私は、私が持っているこの力を発揮しきることと、遺された母を大切にすることが祖父孝行だと思っています。

群馬はいい。親戚一同で山道上ってご先祖に線香をあげたんだ。群馬はいい。東京うまれの私をあっという間に仲間に入れてくれた。それは寅次じいさんが信頼されていた証。命をつなぐのは、自分の生きる姿 。