2015年2月4日水曜日

チマチマつなげて一人



なんだか 落ち着かない。

後藤健二さんの、伝えようとしていた姿勢 を知って「わたし 自分の内側から外に向かうこと怠っているな」と思った。チマチマ発して チマチマ反応があって。それで嬉しいけど、その筈だけど、このピンとこない感じは そうじゃないってことだ。

身体中、怒りと哀の粒子が走りまわる〈チマチマ〉ゆえ〈チマチマ〉する。人の所為にする、自分の所為にする。それは違うってこと、そういうことを考える 大事な時間を、気がつくとカットしている。「のびのび生きるんだ、難しいことは忘れて良し。」と思っている怠け者

大声で世の中に物申すより、近くのひとをツンツンつついて〈ねぇ こんなのあるよ。こうすると君に似合うね。でもこうすると変だね〉〈へ?僕これ似合うの?あらそう?こうすると そうだな、こっちは君に似合うみたい。〉という…そんな、小さくても刺激性のある〈作用〉でありたい。

後藤さんだってチマチマを長く繋げて出来た一人。殺害を実行したイスラム国の人間だって、正しいと思ったチマチマを繋げて出来た今の一人なんだ。そう考えると私のチマチマ真義は揺らぐ。個人とは なんと怖いものだろう。それでも この子らがたくさん泳いで届くように、流れをつくらねば 。じいちゃんが死んだ時もそうだったけれど、亡くしてから気づかされる事は沢山ある。

薬と一緒。私が〈作用〉する人や物事は 全てじゃない。大半が互いにハズレくじ。じゃぁ生きてる間によ、できるだけ作用する人を見極めてくじを引いてもらおう、引かせてもらおう。

イスラム国は憎しみを原動力にして 一体どんなところに腰をおろすのだろう。赤信号を手繋ぎで渡るグループは無理でも、銃やナイフを突きつけてくる〈個人〉になら 命をかけてようやく一つ、なにか遺せる気もする。書きつつ「命がけ」には賛成出来ないな とも思う。仲間・繋がりの包容力って善悪の紙一重なんだなぁ。





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